歴史・環境・温故知新の校区
歴史
<荒木村重像 伊丹市立博物館所蔵>
本校は、昭和44年に市内で10番目の小学校として開校しました。
今から約550年前に、日本最初の天守閣を持つ壮大な伊丹城が建設され、その後、荒木村重(1535~86)によって有岡城と改称された城跡の、ゆかりの土地の高台に抱かれるようにして校地がたたずんでいます。
有岡城は、ポルトガル人宣教師ルイス=フロイスが「甚だ壮大にして見事なる城」と書き記すほどの名城でした。その歴史ある城の名を校名にいただく本校は、昔をしのび、ゆかりある地に建つ小学校のよき校風を未来に受け継ぎ、強くたくましい「有っこ」を育むため、校章も「兜」と「有」の字形を図案化し、その願いがこめられています。
環境
<伊丹郷町図絵 伊丹立博物館所蔵>
本市東南部に位置している本校区内には、有岡城址、酒蔵や酒造りにまつわる旧建築物、碑文、昔の町並み、旧町名などに今も昔を偲ぶことができる事物が多数存在し、本市の歴史と伝統文化の町としての顔となっています。
同時に、JR宝塚線や県道尼崎・伊丹線が校区を南北に貫き、鉄道やバスによる大阪や神戸に至便であり、校舎からは大阪空港を発着する旅客機が見られます。そのようなことから、商業地区や工業地域も校区内に存在し、伊丹市の玄関口に位置する本校区は、イノベーションやグローバル化の最前線にあります。
さらに、校区の東の端には、丹波の大野山を水源とする一級河川猪名川が流れており、その河川敷がヒメボタルの生息地になっているなど、子どもたちや市民が自然環境を学ぶ場となっています。
温故知新の校区
市の南東部に位置する本校校区は、戦国武将荒木村重の遺構「有岡城」跡や、江戸時代に酒造業や俳諧が栄えた「伊丹郷町」を校区内に戴き、歴史や文化の香りあふれる街並みに囲まれています。
<有岡城跡>
<在りし日の趣を今に残す「大坂街道」>
<校区内に点在する有岡城総構えの遺構>
また、校地東側をJR宝塚線,校区の西側を産業道路が通り、JR伊丹駅は伊丹市の玄関口、商業の中心地として昼夜を問わず人の往来が絶えません。
<伊丹市の玄関口「JR伊丹駅」>
<駅から東を望む「大規模商業施設と駄六川」>
<駅から西に「酒蔵通り」のにぎわい>
校区の東端に当たる一級河川猪名川は、河川敷にヒメボタルが生息し、近年はアユの遡上が確認されるなど清流を取り戻しつつあります。また、校区内に点在する公園は緑にあふれています。
<猪名川の豊かな自然環境>
<広大な河川敷は市民の憩いの場>
<緑あふれる公園「南本町公園」>
JR宝塚線と猪名川をはさんだ地域は、工業地帯として市の産業を支えています。
<最先端をいく工業地帯>
更新日:2021年04月12日