令和5年度6月【学校長の部屋】鴻池小

更新日:2023年06月26日

校長の仕事

令和5年6月26日

  校長室に遊びに来る子どもたちからよく「校長先生は何をしているの?」と問われることがあります。私は「時間があるときは、教室をまわって授業中の皆さんの様子を見させていただいたり、休み時間には、運動場に出て遊んでいる様子を見たり、雨の日には、図書室に行って読書をしている様子を見たりしているよ」と答えます。あるとき、教室をまわっていると、子どもから「あっ校長先生、暇なんだ」と声をかけられました。「どうして」と聞き返すと、「校長先生、時間があるときは授業を見て回ると言ってたもん。だから暇なんでしょう」。「確かに」と変に納得してしまいました。私は、朝のあいさつ運動を始め、できるだけ子どもたちの日常の様子を見たり、子どもと何気ない話をしたりすることが好きです。「おはようございます」と、登校してくる子どもに、できるだけ声をかけながらあいさつをするようにしています。多くの子どもは、元気にあいさつを返してくれます。とってもうれしそうに「今日、ぼくの誕生日やねん」という子もいます。元気がなく下を向いて登校してくる子に「どうしたんや、元気がないな」と声をかけると、「お母さんに怒られてん」。「〇〇くん、元気か」と声をかけると、元気のない声で「うーん」と、何かいやなことがあるんだなと、それぞれに表情を見せてくれます。教室をまわっていても同じです。ちょっと授業に集中できていない子にそっと声をかけたり、欠席している子どもの席に座らせてもらって一緒に授業を受けさせてもらったりします。前を向いて先生の話を一生懸命に聞いている姿や、グループになって課題について話し合っている姿、夢中になって活動をしている姿など、子どもたちが落ち着いた雰囲気の中で授業に取り組んでいる姿を見ると、ほっとします。

  先生たちが職員室で子どもの話をしていることがあります。子どもの行動の奥にあるものに想像を巡らして、どのような支援が適切なのかを真剣に考えてくれています。そんなときにも、先生の見立てと私自身の見立てを重ね合わせることもできます。ときには、「アレッ」と思うことを学級担任や他の先生と共有することもできます。様々な視点から子どもを見ることによって、先生は学級経営に、私は学校経営に生かすことができるのかなと思っています。私の仕事は、子どもたちの様子から感じた「違和感」を学校経営に生かしていくことにあります。

  いよいよ今週は、個人懇談会が始まります。子どもたちの成長の様子を保護者と一緒に確認し合えるよい機会です。学級担任からは、勉強や友達関係など、学校での様子をお話します。きっと担任は知らないであろう、ご家庭での様子も教えていただくと子どもを多面的に見ることができます。子どもの成長を願う者同士、お互いに情報を共有し合い、子どもの成長を確認する機会になればと願います。

効果的なICTの活用

令和5年6月20日(火曜)

  今、子どもたちは「何ができるようになるか」や「どのように学ぶか」ということに主眼を置いた学習に取り組んでいます。一人一人の子どもが自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値ある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるような環境をつくっていかなければなりません。このために、子どもたちには3つ柱としての資質・能力、「知識及び技能」、知識や技能を日々の生活や他の教科の学習などとも関連づけて深く理解するための「思考力、判断力、表現力等」、学んだことを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力、人間性など」です。

  文科省が進める「GIGAスクール構想」により、全国の小中学校で、児童生徒1人1台端末の環境が実現しました。伊丹市でも、2021年5月に全児童生徒に貸与されたタブレット端末、令和の時代において「1人1台端末は令和の学びのスタンダード」として、多様な子どもたちを誰一人取り残すことなく公正に個別最適化され、資質・能力が一層確実に育成できるICT環境の整備が進められてきました。

  今や本校においては、あらゆる教科でタブレットを活用した授業が当たり前の状況になっています。授業だけではありません。家に持ち帰っての家庭学習での活用や休みが続く子どものためのオンライン学習、海外の学校との交流など、活用も進んでいます。改めてタブレットの活用について考えると、先生による一斉授業からタブレットを活用することでアニメーションや音声により、視覚的、聴覚的に難しい内容の学習も容易に理解することができます。子どもたちの興味を引きつけるわかりやすい授業が実施できるということです。グループ学習においても、自分以外の考え方を容易に見ることができ、主体的に学習に取り組み、活発な意見交換やよりよいアイデアを生み出すことも可能になりました。さらには、子ども一人一人の興味・関心、学習進度に合わせて学習が進められ、主体的な学びにつながっているということです。

  授業では、学習の「ふり返り」を書かせるようにしています。「今日はどのようなことを学んだのか」、「友だちの考えを聞いてどう思ったのか」、「次にどのようなことを学びたいのか」といったことを振り返ります。ノートに書かせることが多いのですが、タブレットにふり返りを書かせた場合、タイピングが得意な子はしっかりとふり返りをすることができ、教師もどの子がふり返りが書けていて、どの子が書けていないのか一目瞭然なので声をかけることができるということです。手書きの効能については、以前にも触れたことがあります。米プリンストン大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究でも明らかになっているのですが、パソコンに打ち込むより手書きでノートを取る学生の方が総じて成績が良いことが研究結果として出ています。「書く」というプロセスが情報を記憶に深く焼きつけることが科学的にも明らかにされています。本当は書かせた方がいいのかなと思いつつ、子どもの実態に合わせて、両方を認めつつふり返り指導を行っているのが現状です。

  教育現場のICT化の流れは今後とどまることはなく、ますます加速していきます。ICT教育だから無条件によいというわけではありません。教師がめざすべきことは授業の質の向上です。学習場面に応じて子どもたちの良いところを引き出すために効果的なICTの活用を進めていきたいものです。

平和への誓い

令和5年6月13日(火曜)

  小学校生活最大の校外学習、一生に一度の修学旅行に6月8日(木曜)、9日(金曜)に広島・宮島方面に行ってきました。大きな目的の一つが、学年の絆を深めることはもちろんですが、平和学習を通して戦争の悲惨さと生命の尊さを知り、平和を愛し、守りぬく心を育てることにあります。たくさんの思い出をつくってほしいと願っています。しかし、修学旅行は単に旅行を楽しむだけのものではありません。教育課程に位置づけられた教育活動です。子どもたちも、修学旅行に向けてしっかりと事前学習を積んできました。一人ひとりが問題意識を持って追究していくことにも大きな意味があります。6年生の教室前の廊下には、「平和新聞」が掲示してあります。「第2次世界大戦で犠牲となった人々のこと」や「広島、長崎に原子爆弾が投下された経緯」、「戦時中の子どもたちの様子」、「一瞬にして多くの命を奪った原子爆弾の威力」、「日本が世界を敵に戦争に突入した経緯」など、子どもたちが自分たちで追究したいテーマを決めて取り組むことができました。一人ひとりが学習の足跡をしっかり残す活動となっているからこそ、広島への修学旅行は、戦争の愚かさや、命の大切さを学ぶ大変よい機会となります。

  広島の平和記念公園では、原爆資料館を見学したり、公園内の慰霊碑をボランティアさんのお話を聞きながら巡ったりしました。バスを降りて一番に目に飛び込んできたのは、原爆ドームです。核兵器の悲惨さを無言で訴え、人類に懸念を鳴らし続ける世界遺産、原爆ドームを目の当たりにして戸惑う子どもたちの姿。78 年前にここで起こったことの恐ろしさを感じているようでした。その後、「原爆の子の像」の前で、平和集会を行い、鴻池小学校の代表として、子どもたちは、真剣な面持ちで、平和への誓いを新たにしました。また、ボランティアガイドの方に各班に入っていただき公園内にある碑をめぐり、それぞれの碑には建てられた意味や願いがあることを聞きました。広島平和記念資料館では、子どもたちは、真剣な眼差しで資料を見つめていました。子どもたち一人ひとりは事前学習として、「平和」について学習を行い、修学旅行に来ましたが、広島平和記念公園・資料館で見て、感じた戦争の恐ろしさ、悲惨さ、悲しさは想像を超えるものだったと思います。もう二度と起きてほしくない戦争。これから先、世界が平和になるために、私たちができることは何なのか、しなければいけないことは何なのか、私たちができることは小さいことかもしれませんが、その小さな積み重ねが世界の平和につながることを信じ、一人ひとりが気づいたことや考えたことを実行していこうと心に誓いました。

  修学旅行は終わりましたが、平和学習はこれからも続いていきます。被爆地広島で見たこと、聴いたこと、感じたことを周りの人に伝える等、誓いの言葉を実践していってほしいと思います。

 

還暦からの底力

令和5年6月1日(木曜)

  立命館アジア太平洋大学の学長 出口治明氏の著書「還暦からの底力~歴史・人・旅に学ぶ生き方~(講談社現代新書)」の中で、社会派ブロガーちきりんさん「『愚痴を言う』『他人を嫉む』『誰かに評価して欲しいと願う』、人生を無駄にしたければこの3つをどうぞ」という名言を紹介しています。この3つのことは、全て人生を無駄にしています。「あのとき、ああしていたら・・・」と過去を悔やんで愚痴る人はたくさんいますが、済んだことは何一つ変わりません。他人を羨ましいと思っても、それで自分がその人になれるわけでもありません。そして、やっかいなのが「人に評価されたい」だと。人に評価されたい、褒められたいと、そのことばかりを重視してしまうと、誰に対しても八方美人になってしまい、自分自身がなくなってしまいます。自分がいいと思ったことに全力で取り組めばいいと述べられています。いくら不平不満や愚痴を述べたところで、行動しなければ何も変わらないとも言われています。

  また、著書の「おわりに」に「人生は楽しくてなんぼです。楽しい人生をおくるためには行動しなければなりませんが、『人・本・旅』できちんと学んで腹落ちしないと本気の行動はできません。だから勉強や学びは一生続ける必要があり、ココ・シャネルがいう通り(「私のような大学も出ていない年をとった無知な女でも、まだ道端に咲いている花の名前を一日に一つぐらいは覚えることができる。一つ名前を知れば、世界の謎が一つ解けたことになる。その分だけ人生と世界は単純になる。だからこそ、人生は楽しく、生きることは素晴らしい」)、何かを知ることそのものが人生を楽しくしてくれます。『還暦を超えたらもう仕事はせず、のんびり過ごそう』そんな人もいるでしょう。各人の好みなのでそれはそれで結構です。ただし、『仕事をせずにのんびり』は寝たきり老人への道です。人生100年時代を楽しもうと思ったら、健康であることが大前提です」と述べられています。

  『還暦を超えたらもう仕事はせず、のんびり過ごそう』、自分を見透かされたようで反省です。出口氏が言うように「人生は楽しくてなんぼ、楽しい人生をおくるためには行動しなければ」、飯・風呂・寝るの生活からの脱却、そして、行動しなければ変わらないと改めて考えさせられました。