令和3年8月【学校長の部屋】
なんでもチャレンジ!(2学期始業式にあたって)
令和3年8月31日(火曜)
8月30日(月曜)、2学期の始業式を行いました。鴻池小学校に爽やかな笑顔と明るい声と元気な姿が戻ってきました。
この夏休みの間には、東京2020オリンピックが開催されました。世界トップレベルの選手たちによる熱戦が連日繰り広げられました。新型コロナウイルス感染症の蔓延によって世界中の人たちの心がマイナスに暗い方向に傾きがちな中で、選手たちが自らの限界に挑む姿は私たちに夢と感動を与えてくれました。中でも、13年ぶりにオリンピック競技として開催したソフトボール。決勝戦では、アメリカに2対0で優勝が決まった瞬間、選手たちの歓喜の輪ができました。13年前の北京大会以来となる金メダルを獲得しました。上野由岐子投手にとってはアスリートとして、覚悟を決めて臨んだオリンピックでした。「喜びは一瞬。その一瞬のためにアスリートは365日努力をする」の言葉が表すように、この13年間、この一瞬のために努力を続けてこられました。まずそのことに感動させられました。そして、興奮冷めやらぬ中、最後を締めくくった上野由岐子投手は、『最後まで諦めなければ夢はかなう』と、見ている人にメッセージを送ってくれました。そして、パラリンピックの開会式での「片翼の小さな飛行機の物語」、空を飛ぶことを夢見て、ただ、翼が片方しかないということで、空を飛ぶことを躊躇する主人公を演じた和合由依さん。そこに、光り輝くトラックが登場、4人のロック演奏者から勇気をもらい、自ら一歩を踏み出す決意をし、滑走路を自らの力で走り始めます。この物語を13歳の和合由依さんが豊かな表情と全身で表現している姿に多くの人が感動を覚えました。
上野由岐子投手や和合由依さんから「困難を乗り越える勇気」「何事にもチャレンジする勇気」をいただきました。子どもたち一人一人、2学期の行事を通して大きく成長してほしいと願っています。「自分がしないで、だれかする」ではなく、「自分がしないで、だれがする」、自分から何でもチャレンジできる子を目指してがんばっていきましょう。子どもたち一人一人の行動が鴻池小学校を笑顔にすることにつながります。「まずはやってみましょう!」。
上農は土をつくる
令和3年8月24日(火曜)
「教育は人なり」と言われているように、学校教育の成否は、子どもの教育に直接携わる教師の資質能力に負うところが極めて大きいと言えます。これからの時代に求められる学校教育を実現するためには、教師の資質能力の向上がその重要な前提となります。
「どの子も子どもは星」を教育信条とした兵庫県が生んだ「日本のペスタロッチ」と称される東井義雄先生。東井先生が著書「村を育てる学力」で「下農は雑草をつくり、中農は作物をつくり、上農は土をつくる」と述べられています。「下農は雑草をつくり」は、怠慢な農家は、田畑に雑草を生やしてしまうということです。「中農は作物をつくり」は、よい作物をつくり収益を上げることに努力するということです。「上農は土をつくる」とは、目先の収穫よりも、土壌を豊かにすることに力を注ぐという農業の手本を示した言葉です。そうすると必然的に豊かな作物が実ることにもなります。
「上農は土をつくる」とは、教育に通じるものがあります。限りない可能性を秘めた子どもが、変化の激しい時代を生き抜くためには、目には見えない根っこの部分を大切に力強く育てなければなりません。根っこは、目には見えないが重要な役割を果たしています。可能性を前向きに様々なことに乗り越えていけるかどうかは、その人の心の根がどれくらい太くて強い吸収力をもつかによります。教育においては、子どもたちの学びに対する意欲や関心、そして態度をどのように育んでいくのか。さらには、「自分は価値ある存在」だと、自分の価値や可能性を信じる自己肯定感を育むことが教育における土づくりということになります。しかし、自己肯定感は勝手に身につくものではありません。学校、家庭、地域が、子どもたちの自己肯定感を育む上で欠くことのできない存在であり、大人の支えが重要となってきます。根っこが地面にしっかり根をはり、太く幹が成長し、葉が生い茂れるよう、私たち大人がよい土づくりのできる上農になることが大切です。
ケーキの切れない非行少年たち
令和3年8月18日(水曜)
立命館大学産業社会学部教授の宮口幸治さんの著書「ケーキの切れない非行少年たち」(新潮新書)、2019年7月に発行され、累計60万部突破の大ヒット新書が漫画化されました。今、また話題になっているようで、改めて読んでみることにしました。
題名にある「ケーキを切れない非行少年たち」とは、粗暴な言動が目立つ少年に紙に丸い円を描いて、3人で均等に食べるとしたらどうやって切りますかという問題を出しました。すると、少年は、ケーキを縦に半分に切って、その後「うーん」と悩みます。もう一度、丸い円を描いた紙を渡すと、また、縦に切って、その後悩み続けたのです。ここからわかることは、彼らに、非行の反省や被害者の気持ちを考えさせるような矯正教育を行ってもほとんど、右から左へと、犯罪への反省以前の問題だということです。こういったケーキの切り方しかできない少年たちがこれまでどれだけ多くの挫折を経験してきたことか、そしてこの社会がどれだけ生きにくかったことかもわかります。
学校では、その生きにくさが気づかれずに特別な配慮がなされず、不適応をおこし、非行化し、最後に行き着いた少年院でも理解されず、「非行」に対してひたすら「反省」を強いられてきたことになります。どうすれば、非行少年を更正させることができるのか、同じような非行少年をつくらないためにどうすればいいのかを考えさせられる一冊です。
非行少年の特徴の一つとして、認知機能の弱さを指摘しています。認知機能は、記憶、知覚、注意、言語理解、判断、推論といったいくつかの要素が含まれた知的機能を指します。人は五感(見る、聞く、触れる、匂う、味わう)を通して外部環境から情報を得ています。得られた情報を整理し、それをもとに計画を立て、実行し、様々な結果を作り出していく過程で必要な能力が認知機能です。認知機能は、全ての行動の基盤でもあります。また、「見る力」「聞く力」を補う「想像する力」が弱いと、「今これをしたらこの先どうなるのだろう」といった予想も立てられません。これが認知機能が引き起こす「不適切な行動」につながっていると考えられます。
漢字ができなければひたすら漢字を書かせる、計算ができなければひたすら計算ドリルをやらせるといったできないことをやらせようとしてしまいがちです。計算や漢字といった学習のもとには、「写す」「数える」といった土台があり、そこをトレーニングしないと子どもは苦しいだけなのです。今の学校では、学習の土台となる基礎的な認知能力をアセスメントし、そこに弱さがある児童には、トレーニングさせるといった系統的な支援がない状況です。少年院の非行少年も同様でした。簡単な図も写せず、短い文章の復唱もできない。そんな状態のまま、小学校、中学校で難しい勉強をさせられ、ついていけなくなり、勉強嫌いになり、自信の喪失や怠学に結びつき、ひいては非行化してしまうという結果につながります。
認知機能トレーニング(コグトレ)が、こういった子どもたちへの治療となる可能性があると宮口さんは言われています。
<例>「最初とポン」
「最初とポン」は、短い文を聞き、動物の名前が出てきたら手を叩きます。短い文を聞き終えた後、文の初めの言葉を書くというトレーニングです。
○イヌの家に代々伝わる魔法の杖がありました。
○大急ぎでキツネは杖を取ろうとしました。
○杖を取ろうとウサギが手を伸ばします。
感謝の気持ち
令和3年8月6日(金曜)
「ありがとう」と言われて、悪い気持ちになる人はあまりいないと思います。「ありがとう」と言ってほしくてしているわけではないのですが、なんとなく、相手からの反応がないと「えっ」という気持ちになったりもします。これが、夫婦や親子など身近な人間になると、さらに「ありがとう」の感謝の言葉が出にくくなります。本当は、一番感謝の気持ちを伝えないといけない人たちなのに。でも、言葉にしなくても「わかってほしい」という思いもあるようです。どこか私たちは、「言葉にしなくてもわかる」と言うことを美徳にしているきらいがあります。河合隼雄さんは、「河合隼雄の幸福論」(PHP研究所)のなかで、感謝の言葉(ありがとう)について、欧米人のしつけを見ていると、日本人に比べて相当幼い年齢から、自立ということを非常に大切にしているので、親に対して適切に礼を言うようにしつけている。4,5歳の子どもでも親に礼を言っているし、親も子どもに対して必要なときには礼を言っている。日本人の中には自立を取り間違えて、「自分は親の世話にならないのだから」という気持ちで礼を言わない、実は世話になっているのに礼を言わない子どもがいる。これは、自立というよりも甘えが過ぎているというべきで、欧米人から見ると非常に奇異な感じがするようです。適切な礼をいうということは、その人が自立的になったことの標識といってもいいだろうとも言われています。
たとえ、小さなことでも「ありがとう」と言ってみることを積み重ねることが、大きな「ありがとう」につながります。甘えを捨てて、「ありがとう」の感謝の気持ちが伝え合える関係づくりを大切にしたいものです。
『ありがとう』 谷川 俊太郎 作
空 ありがとう
今日も私の上にいてくれて
曇っていても分かるよ
宇宙へと青くひろがっているのが
花 ありがとう
今日も咲いていてくれて
明日は散ってしまうかもしれない
でも匂いも色ももう私の一部
お母さん ありがとう
私を生んでくれて
口に出すのは照れくさいから
一度っきりしか言わないけれど
でも誰だろう 何だろう
私に私をくれたのは?
限りない世界に向かって私は呟く
私 ありがとう
広島原爆の日
令和3年8月6日(金曜)
広島は6日、長崎は9日、原爆が投下からされてから76回目の「原爆の日」を迎えました。この2発の原子爆弾によって街は崩壊し、数十万という尊い命を奪いました。6日に行われた広島での平和記念式典で、広島市の松井市長は平和宣言で、一刻も早く核兵器禁止条約へ参加するよう日本政府に求め、核を持つ国と持たない国との「橋渡し役」となるよう訴えました。また、被爆から3年後に広島を訪れたヘレン・ケラーさんの言葉「一人でできることは多くないが、皆一緒にやれば多くのことを成し遂げられる」を引用し、市民の力の結集が政策転換を促し、核兵器のない世界への歩みを確実にすると呼びかけました。子ども代表による「平和への誓い」では、「争いのない未来、そして、この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続けます」と、6年生の子どもたち2人は自分たちの使命を力強く誓っていました。二度と戦争をおこさない未来への誓いです。
「核兵器禁止条約」は、令和2年(2020年)10月24日に、条約発効に必要な批准国が発効要件である50か国に達し、令和3年(2021年)1月22日に発効を迎えました。条約の前文では、核兵器使用による被爆者(ヒバクシャ)と核実験によって被害を受けた受け入れがたい苦しみについて言及しています。
6年生の子どもたちは、この12月に広島へ修学旅行を予定しています。広島平和公園での平和を誓うセレモニー、平和資料館見学、碑めぐりなどを通して、戦争の悲惨さ、平和の大切さについて肌で感じてほしいと願います。そして、平和の伝承者として一人一人が戦争のない平和な社会を築いていくために、学んでことを語り継ぎ、行動していってほしいと願います。
学び続ける教師2
令和3年8月2日(月曜)
中央教育審議会では、平成27年12月の答申「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について」の中で、これからの時代の教員に求められる資質能力の一つとして「これまで教員として不易とされてきた資質能力(※)に加え、自律的に学ぶ姿勢を持ち、時代の変化や自らのキャリアステージに応じて求められる資質能力を生涯にわたって高めていくことのできる力や、情報を適切に収集し、選択し、活用する能力や知識を有機的に結びつけ構造化する力などが必要である」とし、変化が激しい時代において、学び続ける教員像が強く求めています。
学習院大学文学部教授の秋田喜代美先生は、「学び続ける教師をいかに育み支援するか」について、学び続ける有能なシステムを学校に生み出していくことが大事であると述べています。そして、学び続けるためには、動機づけや意欲にずっと支えられなければいけません。情動的な要因、リフレクション(省察)でも知的なリフレクションの話だけではなく、イモーショナル・リフレクション、情動的省察が非常に重要となってきます。使命感やその学校の教員としてのアイデンティティが学び続けるために非常に重要だと。学び続ける根底にあるものは、こんな授業をしてみたいという憧れと挫折、手応えを感じさせる子どもの変化にあります。学びの成果が可視化(何が身についたのか自ら説明できる状態)されることにより、教師の学ぶ意欲を喚起することにもつながります。一人一人の教師の学びの成果は学校全体の教育力の向上につながり、子どもたちの学びの充実につながります。
私たちが授業研究する意味は、決して、授業改善を目的に行われているものではありません。目の前にいる子どもたちをなんとかしたいという気持ちが、先生を変え、学校を変え、そして「変わっている」という実感が学び続けるというシステムにつながっていくものです。「普通の教師は、言わなければならないことを喋る。よい教師は、生徒に分かるように説明する。優れた教師は、自らやってみせる。そして、本当に偉大な教師というのは、子どもの心に火をつける」、これはアメリカの作家ウィリアム・アーサー・ウォードの言葉です。子どもの主体的な学びを引き出す教師のかかわり、一人一人の思いや考えをつなぐ教師のかかわりは、子ども一人一人の学びを最大限に引き出す教師であり、子どもの主体的な学びを支援する伴走者としての能力も備えていることになります。
※使命感や責任感、教育的愛情、教科や教職に関する専門的知識、実践的指導力、総合的人間力、コミュニケーション能力等
更新日:2021年10月25日